森がまとわりつく感じー自分が自分である心地ー

森林浴をした後は、気分がすっきりして
身体は多少疲れた心地になる。

疲れた心地=悪い心地

ではなくて、身体を使った感じ。(よく寝れそーって感じ)

パソコン作業の多い日々は、頭や目はとても疲れるけど
身体は座ったままだから、肉体と脳の疲労がイコールになっていないのがわかる。

森を歩くと、よくわかる。

息がすぐ上がるようになったな
この筋肉が全然なくなってるな(すぐ足が笑う)
鼻が効かなくなってるな、反射神経が鈍ってるな
バランスが取れなくなってるな、って。

森林浴をした帰り道、森のベールが身体を覆っている感じがする
電車に乗っても、森のベールが守ってくれる感じ。

都会の雑踏に入っても、自分が自分である感覚がわかる。
その心地はしばらく続く。

*********

この時期の森は、湿度が高い。(6月)
むっとしてる。

でもだんだんと思う。
これが今の時期の普通なのか、と。

除湿、エアコン、消臭、殺菌・抗菌

人間が快適と感じる状態の中に居すぎると、自然界が不快に感じる。

快適な環境で生き続けることもできる
けど私は自然界で、いろいろな感覚に触れながら、自分の感情の振れ幅を感じて生きていきたい。

これがベース。身体に覚えさせるように感覚を刻む。

谷を歩く時の湿度、香り、虫の動き方
尾根を歩く時の、湿度、香り、虫の動き方
全然違うことに気がつく。

谷を歩いていると、湿度がたっぷりで、濡れていないのに濡れている気がする。
尾根に着くと、吹き込む風がまるでエアコンの除湿のような爽やかさに感じる。

どちらも湿度があるけど、
こんなにも快適に感じることができる。

街で一匹虫がいると、やたら気になるのに
そこら中に虫が飛んでても、飛んでるのね。としか思わないんだよね。
虫が好きとか嫌いとかでなくて、いるのが当たり前。

何が言いたいかというと、いつもいつも快適な環境に身を置いていると
身体のハイスペックな機能(感覚)が使えなくなってしまう。
ひとつのパターンしか正解と感じられなくなって、
それ以外は、ダメな感じがしてしまう。
受け入れることができるのは0か100か。

答えの出ないことを楽しめる感覚

見えないことを受け入れる感覚

それは、自分を許し認めてあげる感覚に近いかもしれない。

一本の軸だけで立とうとしていると、大きな揺れがきた時、すぐ倒れてしまう。
細くても、何本も軸があると、大きな揺れがきても柔軟にバランスをとって
倒れずにいられる。

これが実はとても大切だろうなとわたしは思う。

昨日の森林浴で感じたことでした。2020.6.6

==お誘い・オンライントークイベント==

6/12(金)20:00〜オンラインイベントでお話しします。ぜひご参加ください^^(無料)
「森の人に聞く!これからの森の楽しみ方・ふれあい方」