ブッダの教えから考える共生のはじまり。

先日、ホームで電車を待っているときに電線に止まっている鳩を眺めていた。
二羽の鳩がいて、雨の中、電線を渡っていた。

ふと、その時、この鳩たちは自然の中の快適さを知っているのかなと思った。
飛び回ることができて、どこにでも行けるのに、鳩はここで生きることを選んでいる。
人間が残した食べ物とか餌が多いからなのかな。
電車が突っ込んでくる電線の上よりも、たくさんの木々と美味しい水で潤う
森の方が気持ち良いのになぁって。

もしかして、ここは敵が少ないのかな。
でも電車にぶつかったら間違えなく一瞬で去ってしまう。

私たちは、都会の中で見かける鳩とかカラスとか、
何か、どこかで、汚いとか、怖いとか、厄介に感じてしまう。
なんでなんだろう。

一切の生きとし生けるものは、幸福であれ

こんなブッダの言葉がある。
自分の幸せだけでなく、自分以外の植物、動物、他人、全て生き物が幸せでありますように。

わたしは自分の幸せを考えている。
けれど、目の前に立っている知らない人の幸せを願えるか?といえば、
赤の他人の幸せをどうやって思えば良いのか、わからないのかもしれない。
全ての人の幸せを、とかっこいいセリフを唱えてみたいけど、
本気で他人の幸せを願うのは難しい。

相手が友達の場合、幸せは願うけれど、どこか他人だしなぁ、という思いも浮かぶ。
冷たい人だなぁと思われるかもしれないけど。

きっと、他人や自分以外の生き物の幸せを考えることと向き合うこと
わたしたち人間に必要なことなんだろうなと思う。

尊敬する気持ち、謙虚な気持ち。
謙虚でいられないとき、尊敬の気持ちがわかない時こそ、
自分に足りていないことは何か、と向き合う時
成長が必要な時なのかもしれない。

人は自分と同じ生き方をしている人はこの世に一人もいなくて
肩書きや成果だけではない、
目に見えない、経験や感情をたくさん繰り返している。

自分以外の生きるもの全て、
自分とは違う経験をし、自分とは違う景色を眺め
自分とは違う決断をし、自分とは違う生を歩んでいると思うと
興味が湧いてくる。

その興味を育てるように生きてみたい。
それがきっと、共生のはじまりなんだと思う。